ニュージーランドから帰ってきてから、私はおかしくなってしまった。
なんだかとても頭が悪くなったように感じるし、何もしていないのにあっというまに時間が過ぎていく。
2月頃に私は「さとりを開くと人生はシンプルで楽になる」=「The Power of Now」を読んで、なるほど今までいかに「今にいなかったか」を反省した。
なるべく「今」にいるようにつとめながら日々を暮らしている間にニュージーランドへの長旅が始まった。
ニュージーランドは日本からするとお隣りさんという雰囲気かもしれないが、ここイギリスからすると、地球の裏側にある未知の土地なのである。
今までの私はと言うと、移動は目的地にたどり着くまでの手段でしかなく、特に飛行機の移動は苦痛でしかなかった。
狭い座席に閉じこめられ、眠れず、必要以上に運ばれてくる食事にうんざりしながらもまりの暇さにそれを食し、ブロイラーチキンになったような惨めさを感じていた。
機内では目的地で待っている出来事に想いを馳せ、目的地の美しさに想いを馳せ、時計見ては早く着かないものかとため息をつき、待ちに待って到着するころにはへとへとになっていた。
家からニュージーランドのオークランド空港まで全ての移動と待ち時間を含めて32時かけてやっとたどり着く。
こんなことでは今回の長旅は耐えられないというのが私の見解であり、いままでの自分行動、反応パターンを変えてみることにしたのだ。
ということで私は肝を据えてこの32時間の移動中は「今にいる」ことに徹したのだ。完璧に出来たなどと言うつもりはないが、時計を見ることを自分に禁止し、その瞬間に来ること、楽しめることに集中してみたのだ。
映画、本や雑誌を楽しみ、心に思い浮かぶことをノートに書き留め、食事の時はゆっくと食事に集中して楽しむ。
今までいかに何物をも楽しんでいなかったことか。
機内食はまずい、映画は売れ線の物ばかりで私の好みの物はやっていない、新聞は読みくないetc・・・・・。
文句を言うのは簡単だが、拒絶して苦しむのは私であるということには気づいていなかたのだ。
こういう試みを始めてから変化があったのかなかったのかは良くわからないがとにかくれにくくなった。疲れにくくなったと言うよりは、疲れることをしなくなったというのろうか。
変に分析を始めてまた「今」にいなくなるのはいやなので、もうそういう事はしていない。
旅中ずっと「今にいる」ように心がけ、気づいたら帰ってきていた。
たくさんのことを体験したように思うが、それはとても言葉にはならない。そしてあま思い出しもしない。
それは私にとって、とても変な感覚だがそうだとしか言いようがない。
帰ってきてからも、努めて「今にいる」ように心がけている。
そうすると、確かにとっても楽しい瞬間もあれば、つまらなかったり、嫌いだったりす瞬間もある。
でも、瞬間瞬間をただ経験することにつとめている。
感情的に揺れている時期もあったが、揺れはおさまるものだし、楽しいこともいやなこも過ぎていく。
なにかになる必要もなく、ただ今の自分の状態のままで起きる出来事を体験してみている。
こう書くとなんだか仏陀の境地に達してしまったようだが、全然そんな素晴らしくもなくて、とても世俗的になった気分がしている。
嫌悪していたようなくだらないテレビ番組も見てみると結構楽しかったりして、ゲラゲラ笑っていたりする。

日本にいたときは、自分のしたいことだけをして、嫌いなことはことごとく避けていたので、とても幸せだった。自分は何が好きで何が嫌いかよくよく知っていたし、どこに行けば好きな物を手に入れられるかも知っていた。友達もたくさんいた。
今は違う文化の中で手探り生活をし、エネルギー的にもうまく流れていかないので、飛行機の中で生活しているようなそんな気分でもある。それでもそこにある物を楽しむことをし始めたので最近はとても幸せになってきた。
まだ「今にいる」ということがどういうことなのか、それが私にとってどうなのかわかってもいないが、今までとは違う人生の感じ方があるように思える。
2年半ぶりに日本に帰ることにした。
帰ったらしたいことは山ほどあるが、とにかくないものねだりをやめて、そこにある全てを楽しみたいと思っている。