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2005年02月27日

(49)禁じること

☆大声で文句ばかり言っていると、
  ついには、高次の意識をかいま見てしまうこともあります。

  食事、セックス、人との会話、睡眠などを
  自分に禁じていると、
  身体がうまく機能しなくなって、

  天の神様が
  “では、ちょっと天国を見に来ますか?”
  と言ってきて下さることもあります。

  でも、こうした瞬間的なひらめきは、
  本当の光に出会ったということとは違います。☆
           
                 「なまけ者のさとり方」より

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以前、中学校の先生をしていた時に、
何年か、知的障害児学級の担任をしていたことがありました。

その時に、よくおならをする女の子がいました。
小さい子ならまだしも、
もうすぐ思春期に入っていく年頃の子です。

まわりの子たちに
「また、おならをした。臭い!」
と言われるのがかわいそうだと思い、

彼女に「人前でおならはしないようにしましょう。」というと、

彼女から、
「おならを我慢するとおなかが痛くなっちゃうよ。
どうして、我慢しなくちゃいけないの?」
と逆にたずねられてしまいました。

僕は「もっともな意見だ!」と思い、
「そうだね。おなかが痛くなるんだったら、
君の言うとおり、おならは我慢しないようにしなくちゃね。」
と言いました。

まわりを気にすることと、自分を大切にすること。
どちらに重きを置くことが、より心地よい生き方なのかを
その時、彼女から教えられた気がしました。


まあ、おならと同様に、
あくびをしたり、貧乏ゆすりをしたりなど、
様々な生理的欲求は、今の世の中では、はしたない行為とされていますが、

あくびは脳に酸素が足りないので、
多く酸素を取り入れるために行なわれる、
脳のリフレシュのための行為ですし、

貧乏ゆすりも
身体に溜まったエネルギーを発散させるための、
いわゆる身体の浄化のための行為です。

そう考えると、通常、はしたないとされている生理的要求は
まさに身体や心に必要があって起こっている
大切な行為なんですね。


山川ご夫妻が訳された『ラスト・バリア』の一節、

「なぜ君は菜食主義者なのか聞いたことがあったね。
その時私は、神は完全であることを知っているから、
私は肉も食べるのだ、と言ったはずだ。」

というスーフィーの言葉が、思い浮かびました。

☆気ままなエクササイズ 48☆

普段、自分が禁じていることや
まずいな〜と思うことがあるでしょうか。
ちょっと思い浮かべてみましょう。

それは本当にいけないことなのでしょうか。
それをすると誰かが困ることなのでしょうか?
それをするとあなた自身が困ることなのでしょうか?
それは愛が伴っていない行為なのでしょうか?
 

 

BY ぶち@りらくぜーしょんるーむAnela(あーねら) 
  http://www12.plala.or.jp/anela/

なまけもの読書会のメルマガ 第50号から転載

 

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