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2005年06月12日

(62)想いや感情のエネルギー

☆あなたのバイブレーションが変わると、
  全世界がそれまでとは違って見えてきます。

  ちょうど、あなたが幸せだと、
  みんながあなたに微笑みかけてくれるように
  感じるのと同じです。☆
           
                 「なまけ者のさとり方」より

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*前回は、宇宙全体のエネルギー(波動)
 も質量保存の法則によって
 ずーっと同じ量であり続けるならば、
 
 自分が出している感情のエネルギーも、
 何か外側からのエネルギーが変化して、
 生まれたものであり、

 その外から来るエネルギーとして
 いわゆる空気や、
 動物や植物といった他の命を
 私たちは取り入れている
 のではないかな〜というお話をさせていただきました。
 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

食べ物だけではありません。

天のエネルギー、地のエネルギーなど、
さまざまなエネルギーを私たちは
心や身体に取り入れています。

面白いことに、他の人のエネルギー(想いや感情)も
私たちは自分の中に取り入れているようです。

同じ想いや感情のエネルギーなので、
これがもしかしたら一番、
自分の想いや感情のエネルギーに
変換しやすいのかもしれません。


ある講演会に行った時のことです。

とても和やかで気持ちのよい雰囲気の中で
その講演会が進んでいました。

自分の中のワクワクエネルギーも
キラキラと充満している感じでしたし、
他の人の顔を観ても皆、輝いている感じでした。

ところがある人が立ち上がり、講演者に向かって
「そんなことインチキだ!」と怒り出しました。

その怒りの波動はすぐにみんなにも広がってゆき、
今までワクワクエネルギーで充満して
輝いていたように見えた会場の雰囲気が、
息を呑んだように静まり、
色あせた感じに変わりました。

そして、それまでニコニコしていた人たちの中にも
その怒りの波動に反応するように

(=その怒りの波動を自分の中に取り入れたことによって)、

ある人は、「僕もそう思う!!」という怒りの感情を、
ある人は、「そんなことはありませんーー!!」と
反論する意味での怒りの感情を出したり、
「なぜそんなことをいうのか・・・?」と
悲しみの感情を出したりしていました。

そして、その時に講演されていた人が、
その怒りの感情を出している人に向かって出していたのが、
「そのことに関して、今ここでよく話し合いましょう。」
という愛の波動でした。

その落ち着いた口調で話された愛の波動は、
会場のざわついた雰囲気を再び心地よいものに戻し、
まだ怒りの感情を出している人は、
怒ったまま、すべてを放棄するように
その会場から出ていってしまいました。


私たち人間にとって一番響きやすく、
自分の感情が生まれやすいエネルギー(波動)は、
同じ人間の感情のエネルギーなのでしょう。

そして、とても大まかですが
次の3つのことが言えるように僕は思います。


1つ目は・・・

感情のエネルギーもエネルギー一定の法則からいうと
消えてなくなるものではなく、
大げさに言えば宇宙全体に広がっていき、
様々なものに(特に一番響きやすい人間に)
影響を与えるということです。

そういう意味では、スピリットダンスで楽しく踊ることも、
亜希子さんが言われるように、その愛の波動が世界に広がって
世界平和につながっていくことになります。


2つ目は・・・

必ずしも同じ感情のエネルギーにはならないということです。

もちろん、響きやすさからいえば、
怒りのエネルギーは怒りのエネルギーになりやすいのですが、
第2次世界大戦中のアンネ・フランクのように
怒りのエネルギーから愛のエネルギーを生み出すこともあるのです。


3つ目は・・・

怒りのエネルギーから愛のエネルギーが生まれるように、
異なった感情のエネルギーが自分の中に生まれる理由が、
自分というフィルターがあるからだということです。

どんなに下手に握ったおにぎりでも
感謝して食べることができれば、美味しく感じられますし、

また、どんなに上手に握ったおにぎりでも
何かに不満を持ちながら食べれば、まずく感じられます。

そう考えると、外からのエネルギーを
どんなエネルギーに変えることができるかは、
自分の心や身体というフィルター次第なのかもしれません。


もちろん、どの感情がポジティブで、どの感情がネガティブなのか
なんていいうことも、あなたのフィルター次第なのかもしれませんね。

 
☆気ままなエクササイズ 62☆

今週は自分の部屋の掃除を楽しくしてみましょう。
それが世界の環境を良くしていく一歩かもしれません。

BY ぶち@りらくぜーしょんるーむAnela(あーねら) 
  http://www12.plala.or.jp/anela/

なまけもの読書会のメルマガ 第64号から転載

 

コメント

悲しみの中にいる時には、
その悲しみを味わいつくすことが必要なこともあります。
その淵から無理に昇っていこうとする必要はありません。
単なる言葉遊びのようかもしれませんが、
憂いを持った人ほど、優しくなれます。
そして、その人が耐えられる悲しみしか
どうやらやってこないようです。

Posted by: ぶち at 2005年06月23日 08:15

「そんなことインチキだ!」といった、その人の気持ちがわかるような気がします。というのも自分も最近そう思い、その手の本を全て処分したからです。「なまけ者のさとり方」以外は。
しばらく信じて生きてみましたが、望むのもは全て奪われ、愛さえも上手く働かなくなった時そう思いました。
悲しみの淵にこれ以上沈めなくなった時、ベクトルは外に向き、怒りとなるのでしょう。でもそれも結局は自分に戻ってきて、いつまでもその淵から永遠に出られないように思えるのです。
底をついたら後は、上がるだけと言いますが、それさえ気休めに思えて。
幸せな人の愛は、ここまで届くのでしょうか?わかりません。バイブレーションが違いすぎるような気がします。むしろ同じ淵から上を見上げて寄り添ってくれるしかないように思えます。
手元にあるフィルターにあらん限りの愛をこめて、次ぎの展開を待つばかりでしょうか。

Posted by: ユウ at 2005年06月12日 21:29
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