☆次の言葉を、瞑想している時に言ってみて下さい。
「私はこの現実を受け入れます。
私はこの現実に一切逆らいません。
私はこの現実と一体です。
私は平等の正義を受け入れます。
私は平等の正義に一切さからいません。
私は平等の正義と一体です。☆
「なまけ者のさとり方」より
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前にもお話しましたが、僕の実家は中華料理屋さんです。
僕が中学生の頃までは、もっと規模も小さく
街のラーメン屋さんといった感じでした。
なかなか忙しかったこともあって、
小学生の頃から勉強するよりも、店を手伝うことを
親から強要されていました。
*今考えると、それも仕方のないことかもしれませんが。
小学生の頃は休みの日となると
昼間2時間、夜3時間の合計5時間の手伝いで、
毎回嫌で嫌でしょうがなかったことを覚えています。
ある日曜日、学校のクラスのみんなと
遠くの自然公園に遊びに行きました。
確か、小学校卒業記念にみんなで行こう!
ということで、盛り上がって行ったのだと記憶しています。
朝早く出かけて、夕方5時頃
くたくたになって家に戻りました。
「ただいま♪」と仕事中の父に言うと、
「何遅くまで遊びに行ってるんだ。早く手伝え!」と
怒鳴られました。
「楽しかったか?」とかそんな言葉を期待していた僕は
シュンとしてしまいました。
それでも、「まあ、楽しかったし・・・」と思いなおして、
とても疲れていましたが、すぐに手伝いを始めました。
そして夕食時、クラスの友達のT君が親御さんに連れられて
うちに食べに来てくれました。
T君は店のテレビで
僕が観たかった番組を観ながら
親御さんととても楽しそうに、ご飯を食べていました。
僕はそんなT君一家に料理を運んだり、
皿洗いをしていました。
T君と自分を比べて、お互いの境遇がなんて違うんだろうと
泣きながら皿洗いをしていたことを覚えています。
その当時の僕は、
(まあ、高校を卒業するくらいまででしょうか)
父親(もしくは家業)の犠牲になっていると、
心の芯から思っていました。
でも思うんですね。
この体験は僕にとって必要だったものだと。
よく他の方から優しいと言われたり、
いるとほっとすると言われたりします。
(夏はそばにいると暑苦しいとも言われたりします・・・)
それもきっと今まで僕が経験してきたことから
無意識に学んできたんだろうな〜と思うわけです。
もちろん、もっと大変な体験をしている人は
いっぱいこの世の中にいます。
僕にとって、丁度良い体験を僕はこれまで選んできたのでしょう。
(よく覚えてませんが)
☆気ままなエクササイズ 83☆自分が『犠牲者』に思える体験ほど、
実は自分にとって大切な成長のチャンスと
考えることもできます。もし、そんな時があったら
『これはどんな学びをするために
自分で仕向けたのだろうか?』と振り返ってみてはいかがでしょうか。
BY ぶち@りらくぜーしょんるーむAnela(あーねら)
http://www12.plala.or.jp/anela/
なまけもの読書会のメルマガ 第88号から転載