親は子どもの前で泣いてはいけない。
私の両親はたぶん、そういう考えだったと思います。
というか、両親が泣いたのを、見たことがありません。
ちょっと涙ぐんでるかな?という感じのを見たことが
1回か2回あるぐらいで。でも子どもごころにも、
これは見ないふりしたほうがいいんだろな〜
と思って、見てないふりしてましたが。
(親も、必死で、見せないようにしていた気がします。)
私の両親が特別なのではなくて、育った時代が違う、
育てられ方が違う、というのもあると思います。
だから、いいとも悪いとも思っていません。
ただ、「お父さんだって、お母さんだって
泣いていいのに。悲しかったら悲しいと言っていいのに。
寂しかったら寂しいと言っていいのに。」とは、思っていました。
お父さんお母さんが、寂しいのをこらえたり、悲しいのを
こらえたりして、ひとりで耐えているのをみているほうが、
子どもの私には辛く思えました。言ってくれたほうが
私もすっきりするし、親だって、人間だもの。
たまには弱音はいたっていいのにな。。。そう思っていました。
そういう思いがあったせいか、
親になったいまの私は、泣きたいときは、
たいてい、そのまんま、泣いています。
泣きたいときに泣く。
でも、小さな子どもから見たら、やっぱり親が泣いてるのは
どうして泣いてるのかな?と心配にも思うでしょう。
だから、私が泣いてるときには、
そばにいる子どもにも、泣いてる理由を教えたり、
泣いてる理由がわかりにくいときには、
「いま、泣いてるけど、泣くだけ泣いたらすっきりするのよ〜
だから大丈夫よ〜。」とか、何かしら、「大丈夫なのよ♪」
というメッセージを伝えるようにしています。
それは妊娠中から、そうでした。
おなかの中のあかちゃんに、「いまお母さんはこういう
状態なのよ〜 でも大丈夫なのよ〜」というのを
そのつど、伝えていました。
伝えると、ちゃんと安心しているのが
わかりました。
光希が生まれてからも、やっぱりそれは伝えるようにしています。
最近では、「おっかあ、またえんえんしてるの?」
「おなか痛いの?あたま痛いの?」と聞いたりしながら、
涙をふくためのティッシュを差し出したりもしてくれる光希。
私は本当にしょっちゅう泣くもので、
光希も、今では、あらあら、また泣いてるわ〜という感じ。
あまり長く泣いてると、勝手にひとりで遊びだしたりもしています。
それが本当にいいのか悪いのかはわかりませんが、
泣いてすっきりすれば自分も楽になるし、
子どもも安心するし・・・
私自身は、それでいいんだろうな〜と思っています。
今日ちょうど、第二子の出産をあと数ヶ月に控えた友達の
○ちゃんから電話がかかってきました。
ここ最近、自分が小さい頃の悲しかった思い出がよみがえって、
かなり感情的にきついという電話でした。
お互い、めったに電話したり、連絡しあったりしない
同士なのですが、ここ1ヶ月ほど、○ちゃんから
頻繁に電話がかかってきています。
今日も、話しているうちに、
電話口で○ちゃんの苦しそうな声がしてきました。
そして、○ちゃんの鼻をすする音がきこえてきました。
「こんな風に泣いたりしてたら、おなかの赤ちゃんにひびくよね・・・
そばにいる子どもにも、よくないよね・・・
でも、悲しい気持ちがこみあげてきて、どうしていいのかわからなくって・・・」
と友達。
「え?泣いていいんじゃないの?思いっきり泣きたいときに
泣いて○ちゃんがすっきりしたほうが、赤ちゃんにも
子どもにもいいにきまってるじゃないの〜!!」
それを聞いたとたん、思いっきり号泣した友達。
そして、思いっきり泣いたら・・・
ぎゅっといろんな思いが詰まって苦しそうだった○ちゃんの
エネルギーがすっと変わりました。すっきりした感じが
電話からも伝わって、私もひと安心しました。
子どもだって、赤ちゃんだって、おかあさんが、
(もちろんお父さんも)我慢せずにすっきりしたほうが
安心するんじゃないかな〜 うれしんじゃないかな〜
そう思って、○ちゃんに伝えました。
子どもって、親が思う以上に、
親の状態やきもちをよ〜〜くみている。
どんなに隠したって、本当によくわかっている。
だからこそ、本当のこと伝えてあげたほうが
いいんじゃないかな〜(本当のこと伝えずらいときは
別のわかりやすい言葉でも・・・)わたしはそんな風に
思うのですが、みなさんはいかがでしょうか・・・?
あーねらのHP→ http://www12.plala.or.jp/anela/
なまけもの読書会のメルマガ 第164号から転載
☆幻想も事実も、ある程度の真実を含んでいるという程度に
信頼してもよいのですが、
常に、ある程度、妄想や錯覚であるのです。
(「なまけ者のさとり方」より)
**********************************
人間には様々な欲求があります。
それを段階別に整理したものが、
「マズローの欲求段階説」です。
1、生理的欲求
2、安心・安全の欲求
3、親和の欲求
4、自我の欲求
5、自己現実の欲求
*何だか眠くなりそうですね〜♪
原始人の山田君で例えるなら、
飢えることなく日々過ごすことが
まず生きていくためには必要なことになってきます。
そこで海の幸、山の幸一杯の豊かな土地に
移り住むことにしました。
(これが1の段階ですね〜)
ただし食べ物が豊富にあるということは、
危険な猛獣もいたりしますので、
山田君は山の中腹の洞穴に居を構え、
入り口も厳重な扉を作って、
洞穴に猛獣がやって来ないようにしました。
(これが2の段階です)
食や住まいも確保できた独り者の山田君は、
一人でいることが寂しいな〜と段々感じるようになり、
近くに住んでいる人たちと仲良くなり、
もう少し広い場所で、その人たちとムラを作りました。
その中にはあこがれの斎藤さんもいます♪
(3の段階♪)
あこがれの斎藤さんに良いところを見せたい山田君は、
ムラのために井戸を作ったりしていくうちに、
ムラのリーダーになりました。
そして、ついに斎藤さんと結婚します♪
(4ですね〜☆)
やがて子ども生まれ、リーダーとしても活躍した山田君ですが、
村祭りの出し物である、「村内勝ち抜き相撲大会」で
はじめて優勝を逃したことをきっかけに、
リーダーの座を若くて有能な星野君に渡し、
その後は孫の面倒を見ながら、ムラの発展のサポートを
亡くなるまでしていきました♪
(5!)
1の欲求を叶えられて、次の2の欲求に
2が叶えられて3へと進んでいくのが、
原則と言われています。
*自分の夢をかなえるために、
安定した仕事を辞めるということも時としてありますから、
原則通りではないこともあるでしょうね。
そう思うと、人間が様々な欲求を持ち、
それに向かって進んでいくことも自然なことなのかもしれません。
でも、そこには
「足るを知る」気持ちがないと、
結構、自分が苦しくなります。
(地球も苦しくなります)
特に現在、情報があまりにも豊かに入ってくる世の中では、
「足るを知る」気持ち以上に、
「もっと豊かになりませんか!」という
お誘いが後を絶ちません。
そんな中で情報に惑わされずに
自分の自然な欲求を叶えていくためには、
頭ではなく身体や心に常にフィードバックすることが大切だと思います。
先日、本屋さんで
「求めない」(加島祥造さん)という本をちょっと立ち読みしました☆
その中で「求めないと、人は自由になる」みたいな
文章を読んで「お〜!」と感動しました。
*求めないという気持ちを求めすぎるのもなんですが・・・
求めないって、今のまんまでOKということでしょう。
それを基盤にして、楽しみながら気ままに「いいな〜♪」と感じたことを
求めるようにしていきたいですね〜☆
★ 気ままなエクササイズ143 ★さあ、新年です♪
今年、あなたがしたいことをいくつか書き出してみましょう。そして、それを1つずつながめながら、
それが出来た時のこと、できるまでのことをイメージしましょう。そのイメージをしている時の身体の弛み具合や心地よさも
感じてみます。
イメージして、身体が弛み、心地よさを感じるもの、
それがより自然で気ままな欲求なのかもしれません☆
BY ぶち@りらくぜーしょんるーむAnela(あーねら)
http://www12.plala.or.jp/anela/
なまけもの読書会のメルマガ 第164号から転載